形成外科歴30年を振り返って
- 2 日前
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本年2026年4月より、私は14年間務めた山梨大学医学部の職を辞し、本クリニックの院長になりました。人生の一つに節目に際し、今回は今までの医者30年を振り返って僭越ながら自分の話をしたいと思います。
1995-1997年 皮膚科研修医時代
山梨医科大学(現山梨大学))を卒業して、皮膚科に進みました。私の時代は現在のような初期臨床研修というシステムはまだありませんでしたので、入局のリクルートは大学6年生の時で、卒業と同時に専門の科へ進む制度でした。この2年間は、毎月10日ほどの当直をして早朝から深夜まで働いて、休みもなく今では考えられないような生活でした。
しかしながら、皮膚科医としての基本を学ぶとともに、病棟では、水疱症、皮膚T細胞リンパ腫、膠原病、全身熱傷の管理など、すさまじく濃密な2年の研修医生活を過ごすことができました。そんな中でも、最も疲弊する原因となったのが全身熱傷の治療です。救急部の先生の手を借りてはいましたが、集中治療室での全身管理は本当に大変でした。
1997-1998年 自治医科大学時代
形成外科を志すことに決めた私は東大の形成外科学教室に入局しました。が、最初に配属になったのはその関連施設である自治医科大学でした。今は亡き上田和毅先生のもと他の上司にも恵まれて、本当に充実した形成外科研修を受けることができました。4月1日から、突然「皮膚科の百澤先生」から「形成の百澤先生」と呼ばれるように変わったのは地味に感動しました(笑)。
1998-2000年 湯河原厚生年金病院時代
自治医大の次は、医局の人事で湯河原厚生年金病院に異動となりました。故岡部勝行先生の得意な褥瘡治療と手の外科治療を中心に学びました。この頃は特にハンド(手の外科)が面白くて、救急隊にまで連絡して自分の携帯番号教えたりして、喜んで引き受けると伝えたりしていました。
2000-2003年 東京大学形成外科時代
東大の形成外科に入局して4年目に初めて東大病院に配属になりました。3つのチームに分かれていたのですが、それ以外に頭頚部再建チームにも属していたので、ある種の二重生活で毎日が本当に忙しい日々でしたが、一般形成外科、頭頚部再建、美容外科、肝動脈再建など多岐にわたった経験ができ、とても充実した3年間でした。2002年の秋に今年度で東大を離れると決まった後、東大の構内を散策したりして、少し感傷的になったことを覚えています(笑)。
2003-2007年 杏林大学形成外科時代
2002年の秋ごろ、外来診療中に波利井教授から呼び出しがかかりました。何かやらかしてしまったのかと戦々恐々としながら教授室へ行くと、秘書さんがお茶を出してくれたりして、そんなこと今まで一度もなかったので、「は??とうとう首か!!」と思っていたところ、「来年4月から杏林大学に赴任するから一緒に行くか?」と、。高崎に家を買ったばかりだったので一瞬悩みましたが、翌2003年4月に杏林大学に赴任しました。この時代に私が番頭役としてした仕事についてはいつか機会があれば書きたいと思います。
2007-2012年 埼玉医科大学総合医療センター 形成外科時代
2006年の秋ごろ、当時36歳だった私は、「さて、形成外科医として何を専門にして生きていこうか」と悩みはじめました。それまでは、与えられた職務を実行するので精一杯の日々を過ごしてきたのです。それで、埼玉医科大学総合医療センターで原科孝雄先生がはじめた性同一性障害の外科治療が後継者がおらず困っていることを知って、異動を志願しました。ぼくなら上手くやれますよ、と。
原科孝雄先生は、1997年に本邦初の公式の性別適合手術を実施した偉大な先生ですが、私は先生が2007年6月末付で退官された翌7月に着任しましたので、直接の教えを請うことができませんでした。
2012-2026年 山梨大学時代
2011年の夏頃、山梨大学皮膚科の島田眞路先生の命をうけて、当時医局長の原田先生から、連絡がありました。「来年から山梨大学に赴任しないか?」と。山梨に戻るというのは当時の私の人生プランには全くなかったので、お断りしました。しかし、しつこかったんです。数ヵ月押し問答したあげくに私が折れて赴任することに決めました。
この文章を書いてみて、たくさん書きたいことがあり、長文になりすぎるので、今後それぞれの時代ごとに書いてみましょうかね。
最後に
ちなみに、美容外科の仕事を始めたのは東大時代の2001年ごろですので、美容外科医歴は25年目ですね。
最近、直美が話題となっていますが、私の場合は皮膚科医、形成外科医として局所の創傷管理から全身管理まで経験したことが大きな財産になっていると思っています。例えば、目回りに関していうなら、外傷の治療で眼窩底骨折、顔面骨骨折の治療に従事すると、外眼筋の麻痺や絞扼など様々な原因による複視、眼球運動障害を経験しその対処法を学びます。眼窩底骨折で複視が生じているケースをたくさんみてきました。
私は、まずは患者さんの命を救うという気持ちで病気と戦って、懐を大きくしてから美容外科医になってもらいたいと思っています。

甲府昭和形成外科クリニック
百澤 明



